読書

2008年02月29日

振り子の会

モルガン家(上) 金融帝国の盛衰 (日経ビジネス人文庫)
モルガン家(下) 金融帝国の盛衰 (日経ビジネス人文庫)



碩学のファンドマネージャーhirakunを囲んで、「モルガン家」を題材に、1年あまり行ってきた輪読会「振り子の会」が昨日にて終了する。ちなみに「モルガン」とは、「アメリカの金融界、産業界、あるいは政界をも左右する、謎に包まれた影の支配者として君臨した存在」で「モルガン家」はその盛衰を追った名著。
モルガン商会の歴史を辿ることで、アメリカの金融、ひいては20世紀の19〜20世紀の金融の歴史を学ぼうという勉強会だったのだけれど、恐らくこのような機会が無ければ、これだけのボリュームの本を読み通すこともなかっただろうし、hirakunの圧倒的な金融史に対する造詣の深さを軸に、参加者みんなで深いところまで入り込んだ議論が出来て、非常に有意義な時間が過ごせました。

ちなみに今でもモルガン・スタンレーとJPモルガン・チェースという会社には、モルガンの名前は残っているのだけれど、両者には「もはや利益を追うのに精一杯のモルガン系各銀行には、紳士的礼節と保守的取引を重んじる、歴史的なモルガンの社風はない。」
そして、「かってマホガニー造りの応接間でほおひげを生やした紳士たちが行った金融取引活動は、今や世界中のトレーディングルームに分散して広く行われている。われわれがいま生きているのは、旧モルガンの商会の時代よりはるかに規模が大きく、はるかに個性のなくなった時代なのである。」とのこと。

なにごとも栄枯盛衰の世の中なのだけれど、それだけでなく時代はどんどん大衆化していて、金融も、インデックスやETFやコモディティの時代になっている。
モルガン商会を長らく秘密のベールに包むことを可能にした理由のひとつが、「同族的な共同経営で小世帯(であり)・・・・・・うるさい預金者や株主がおらず・・・・・・部外者の監視に服する必要がなかったこと」であったそうだが、今は大衆の周知の為、ガラス張りにするということで、規制がどんどんと強化されていく時代。

降る雪や 明治は遠く なりにけり 

思えば昭和も、ほんとに遠くなりました。

2007年12月02日

21世紀の国富論

21世紀の国富論

へぇ、こういう考え方もあるんだと納得し、
こんなすごい日本人がいるんだと元気の出る本。
著者の原丈人(はらじょうじ)はスタンフォード大学院出身の
ベンチャーキャピタリストで、アメリカ社会で最も成功した日本人のひとり。

サブプライムローンや過剰流動性を背景に、アメリカの景気後退と
超ドル安(円高)そして世界の景気後退が話題になっているが、
彼はそんな短期の視点は眼中になし。

ひたすら長期の視点に立ち、これからの時代は、
ポスト・コンピュータ時代の新しい技術こそが、
新しい資本主義と新しい民主主義を生み出す
と語る。
それは
自動車をいくら改良しても飛行機が出来ないのと同じで、
もはや既存技術のイノベーションだけでは足りない。

という意味であり、あのグーグルですらも、自動車の改良にすぎないという。
グーグルのような企業は、たしかに現在はもてはやされています。
しかし、グーグルも次の時代をつくる技術を持っているわけではありません。
公告以外の事業モデルがあまりにもないので、企業としての寿命は短いかも
しれません。

そう言い切る彼自身の「ものさし」は明快。
本来あるべき企業の目的とは、優れた商品をつくり、優れたサービスを提供し、
社会に貢献すること。新しい技術がつくる新しい社会のみが雇用を生み出し、
人間生活を豊かにする。


キレのいい文章から感じたことは、
アメリカで成功をおさめたエスタブリッシュメントでありながら、
そこに安住していない志の高さと、現在の不公正な世の中に向けられている怒り。
そして、この世に憤るばかりではなく、次の社会をつくるビジョンを自ら示し、
一歩ずつ足を踏み出し、問題解決にむかって突き進む冷静な行動力。
彼は自分のことしか考えていないCEOゴロやスノッブなアメリカ社会を
痛烈に批判しているが、実は、それもすべて自らそこに入り込み、
そこを乗り越えているから言えること。
これは異常なまでに強靭な意志と体力がないと出来ないことだろう。

楽しいのは著作だけではなく、この対談
現在のアメリカ経済は、過剰流動性というマッチポンプの
もとにマネーゲームに明け暮れる見せかけの経済にすぎず、
それを生み出している「ビジネススクール」は、ハーバードならば、
1のことを10であるかのように自信満々ニコニコとしゃべれるようになるための
「しゃべりかた教室」で、スタンフォードは、株価をいかに高くするかの
「ソロバン教室」であり、どうやったら社会がよくなるかは一切教えない
それだけのものと一刀両断している。

いやあ、痛快。
アツくてクールで、めちゃめちゃ知的な日本人を発見です。



2007年09月25日

安曇野の白い庭

安曇野の白い庭

2週続いた連休も終わり、今週から通常の日程。
朝早くオフィスに出てコーヒーを淹れて日常モードに体を慣らしてゆく。

連休中はひたすら本を読むか、勉強をするか、ランニングをして過ごす。
そのなかで手に取ったのが冒頭の本。

丸山健二は硬質な作家で、
サラリーマンになるために生まれてきたのではないと、
夏の猛暑の、東京の、満員電車の中で思った。
そして小説を生きる証にしようと、人生のすべてをそこにフォーカスし、
都会から田舎に移り住んで、30年以上にわたって暮らしているのだけど、
その田舎とも慣れ合うことを拒み生きている、
基本的なところで考えが大きく異なる人々の生活空間で暮らすには、
都会人の想像をはるかに超えた覚悟が要るものだ。殊に小説を書いて
生活する者などは、田んぼだらけの土地においては最初から最後まで
浮きに浮いた存在であり、いかんともしがたい平行線が延々とつづく。
寂しさのあまりかれらの色に染まろうと、溝を埋めようと近づいて行ったりすれば、
たちまち小説家ではなくなってしまうだろう。(中略)
地元住民に同化することなく、浮きに浮いた立場を堅持する。
これこそが田舎における小説家の在り方の核を成す生き方なのだ。
壮絶な格闘の精神。
あまっちょろく田舎出身だから田舎にオフィスを移すと
口を滑らせたら、尻を蹴っ飛ばされそうだ。

そう言えば今朝電車のなかで、まわりのサラリーマンを見渡すと
みんなそろって日経新聞を読んでいた・・・
乗り換えた電車のなかでもみんな日経新聞を読んでいた。

ヒトと変わった生き方をしなければ、勝てないなとつくづく思った。





2007年07月06日

夏とふぐと神田の街と

いつも考えている、あるアナリストと
いつも行動している、ある方と、
たまには酒でも飲みながら話をしましょうと、
神田でふぐを食べる。
鍋ではなく、七輪で炙って食べる。
ふぐ刺しと併せて、とても美味い。
夏に神田でふぐとは粋でいいなと思う。

自分達の現在の状況についての話に始まり、
来し方行く末について思いを巡らす。

自分を入れて3人とも30代。
30代は迷っている。
迷いながらも、立ち止まる訳にはいかず
猛烈に考えながら、
猛烈に行動しながら、
迷っている。

学生の頃読んで夢中になって読んだ
開高健の輝ける闇だったか夏の闇
だったかのまえがきにあった言葉を思い出す。
「我汝の行いを知る。
汝は、冷やかにもあらず熱きにもあらず。
むしろ我、汝が冷やからんか熱からんかを願う。」
黙示録 3-15

みんな命を輝かせながら生きたいと願っている。

夏の闇



2007年06月06日

グレート・ギャッビー

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他人の心をわかる。想像力を働かせる。
生きることはハードなことで、決して楽ではない。

格差社会の問題点は、格差が存在することや
格差が開いていくことではなく、
格差が再生産され固定化すること。
下流階層から上流階層への移動がままなくなり、
下流階層の間にやっても、無駄だという諦めや
絶望や無気力が広がること。

自分の回りの経営者やファンドマネジャーで、
長期にわたって成果を出し続けている人は、
生きることにすごく前向きだ。

最近読んだ本。
グレート・ギャツビー

本のなかの一番最後の結末の一節
ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。
年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく
陶酔に満ちた未来を。
それはあのとき我々の手からすり抜けていった。
でもまだ大丈夫。
明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。

だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。
流れに立ち向かうボートのように、
絶え間なく過去へと押し戻されながらも。”


生きることは楽なことじゃない。
ひたむきに生きることは時には滑稽ですらある。
それでも未来を信じて、歩み続ける姿に
魂が救われる思いがする。



2007年05月23日

経営の王道  (飯田 亮)

経営の王道 飯田 亮
経営の王道
ISBN:9784806127062 (480612706X)
285p 15cm(A6)
中経出版 (2007-05-01出版)


2003年に出版された「経営の実際」を
文庫収録にあたり改題し新編集したもの。


日本初の安全産業を身一つで興し、5000億円を超える
グループ、2.5兆円を超える産業を築き上げた
飯田さんの会社経営に対する原理原則がちりばめられている。

飯田さんは創業に当たって、どんな事業がいいか
とことん考えた末に次の結論にたどり着いた。

1.人から後ろ指をさされない事業であり、
  努力すれば大きくなる事業であること
2.未開拓、新分野であること
3.前金の取れる事業であること

その3つの結論からなる事業を貫くうえで
彼が常に考え続けていたことは「社会」との関わりだ。

“セコムの判断基準は「会社のために」ではありません。
「社会にとって正しいかどうか」、その一点に尽きます。”

“「豊かな社会の条件とは、
選択肢の多いことだと私は思っています。
(中略)
経営とは社会が求めているものは何かと捉えて、
それを形にして提供することです。
それを社会が支持してくれたら、
その事業は発展するというものです。”

“他のいかなる組織が実施するよりも、セコムが事業化し
実施することが最適であるとの判断が重要だ。
他の組織が最適な場合は、他の組織で実施するほうが
社会にとって有益であるからだ。”           

彼の頭には常に社会がある。
社会に対して会社は何が出来るか、
何をすべきで何をするべきではないか、
をとことん考えている。

かといって次のようにも述べている。

“私たちは
「知り合いにたよらない」
「紹介を受けない」
「売る前の交際・接待費は使わない」
という条件も自らに課していた。
(中略)
一生懸命考えた仕事を義理で買われたのでは、
自分がかわいそうだし、格好が悪いと思ったのです。
私は日本初の安全ビジネスを軌道に乗せるためには、
おもねることを一切排除し、凛然としたものにしたかったのです。”

社会に対して、コミットはしても、絶対に妥協しない姿勢。


「会社のために」と「社会のために」
一字入れ替わっただけなのにかくも大きな違いがある。









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